
僕は既視感というものに結構支配されている感がありまして。
例えば工場地帯に異様な懐かしさを感じたり、バスが一台しか入らないような小さいターミナルで木製の古びたベンチに座りながら大きなセイコーの時計を眺めている自分を思い出したり、何の変哲もない典型的な日本の郊外の風景に心を揺り動かされたり、それはまぁ色々あるのですが、それらを単に既視感として片付けていいものか、という感情が最近強くなってきました。
上の写真は下鴨神社の西側の道路なんですが、まぁそれこそ何の変哲もないただの道です。
ただ、ある日の夕方、西日の強烈な時間帯にそこを通りがかったところ、なんともいえない強烈な磁場に心ごと持っていかれそうな感覚に襲われまして、「ああ、ここは確かに昔僕が住んでいた場所に似ている」と。
もちろん「こちらの」記憶ではそんな過去は全く存在しないのですが、「雨上がり、木の生い茂る歩道の、車道側にも一定間隔で木が植えてある四車線の道路沿いの二階建ての古いビルの二階で本を探している」という記憶は確固として「どこかの」僕の中に存在しているわけです。
それを過去の記憶がいろいろごっちゃになった末の脳のいたずら、と言ってはそれまでなのですが、それで済ますにはあまりにも寂しいしなにしろロマンが無い、ということで、最近はそれを「パラレルワールドでの記憶」と思い込むことにしました。
自分自身を納得させるにはそれが一番良い方法で、かつ誰にも完全には否定できない、というのは安心感をも与えてくれます。
既視感が比較的近いパラレルワールドでの自分自身の記憶の一部だと考えると、それをないがしろにするのはちょっと勿体ないような気がするのです。
“L’Avenir des sciences psychiques.”27.5.10
わー、すげえいいじゃん、この写真!!!!
うっそう過ぎる森加減が、西洋絵画的じゃないの。
既視感という感じは、デジャブとは違う感じだよね。
もっと漠とした感じよね。
デジャブほど確信がなく、どこか懐かしいという。
視覚より嗅覚で感じるという。
そんな感じやろか。
a.k.a.mamma27,05,2010
どこかに忘れてきた自分。
美女。31,05,2010
> a.k.a.manma
この場所を通る度についパシャリとやってしまう。
もうね、病的。
嗅覚だね、確かに。
ここだと西日と木と湿った空気の匂い。
右京区で言うと大日本印刷のインクの匂いだな。
> 美女
いい加減ハンドルネーム変えないと次からはスパムとみなす。
たまにはスナップでも撮りに行くといいよ。
wainai2,06,2010
美女さんひさしぶり!
ハンドルネームはそのままでええよ
ワタシが許可します!!
一枚の写真はロマン
誰にでもある過去の似風景に熱い思いをよせる
そして風と香を感じる
心が熱くなる一瞬の時
たまらなく素直になれる
kyomi17,06,2010
> kyomiさん
過去の似風景っていいですね。
その話だけを肴に大勢で飲みたいです。
wainai2,07,2010